略歴
1929年 | 父・榮久庵鉄念(福山市 永久寺の僧侶)、母・香津子の長男として、東京府北豊島郡西巣鴨 町滝野川に生まれる |
1930年 | 鉄念が浄土宗のハワイ開教区開教師となり、一家でハワイに移る |
1937年 | 帰国し福山に。その後、東京の西巣鴨第一尋常小学校の2年生に編入 |
1942年 | 東京府立第五中学校(現・都立小石川中等教育学校)に入学 |
1945年 | 広島、江田島の海軍兵学校に入学 8月に防府分校で玉音放送を聞く 復員し、ヒロシマの凄惨な無を見る。その後、一家は父の姉がいる福山市鞆町に移り住む。福山誠之館中学(現・福山誠之館高校)の4年生に編入 |
1947年 | 原爆で被爆し亡くなった父・鉄念の後を継ぎ、京都の浄土宗佛教専門学校(現・佛教大学)に入学し、京都知恩院山内の継志学寮に寄宿する |
1950年 | 東京藝術大学工芸科図案部に入学 |
1952年 | この頃よりGK(Group of Koike)を作る |
1955年 | 東京藝術大学を卒業 |
1956年 | 海外貿易振興会(現・ジェトロ)の留学派遣により、米国ロスアンゼルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに1年間留学 |
1957年 | GKインダストリアルデザイン研究所を設立、所長となる |
1958年 | 社団法人日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)入会 |
1959年 | メタボリズム・グループの創設メンバーとして活動を始める |
1962年 | JIDA理事(1992年まで31年間) |
1965年 | 第1回日本インダストリアルデザイン会議 実行委員長 |
1970年 | JIDA理事長(1975年まで6年間) |
1973年 | 第8回世界インダストリアルデザイン会議(ICSID ’73 Kyoto)実行委員長 |
1975年 | 国際インダストリアルデザイン団体協議会(ICSID)会長 |
1976年 | 通商産業省デザイン奨励審議会委員 |
1987年 | 専門学校桑沢デザイン研究所所長 |
1989年 | 世界デザイン博覧会総合プロデューサー 東京都デザインアップ委員会委員長 |
1995年 | 日本デザイン機構を設立 会長に就任 |
1996年 | 道具学会を設立 会長に就任 |
1998年 | スペインのバルセロナに本部を置く、世界デザイン機構 (Design for the World)を設立 会長に就任 |
1999年 | 日本フィンランドデザイン協会を設立 会長に就任 |
2000年 | 静岡文化芸術大学が開学(浜松)、デザイン学部長に就任(~03年) |
2004年 | 誠之館同窓会総会において記念講演「心とモノをつなぐデザインのあり方」 |
2005年 | 道具寺道具村建立の会を設立 会長に就任 |
2015年 | 洞不全症候群のため逝去。享年85歳 |
主な受賞
1964年 | 米国エドガー・カウフマン財団よりカウフマン国際デザイン賞研究賞 |
1979年 | ICSID(国際インダストリアルデザイン団体協議会)よりコーリン・キング賞 |
1988年 | IDSA(米国工業デザイン協会)より世界デザイン大賞 |
1992年 | 通商産業省からデザイン功労者表彰 藍綬褒章 |
1993年 | JIDA大賞(社団法人日本インダストリアルデザイナー協会) |
1995年 | Sir Misha Black Medal (英国) |
1997年 | 芸術文化勲章(フランス) |
2000年 | 勲四等旭日小綬章 |
2004年 | フィンランド獅子勲章コマンダー章 |
2005年 | 中華人民共和国国際科学技術貢献賞 |
2014年 | ADIコンパッソ・ドーロ賞 国際功労賞(イタリア) |
主な著書
1969年 | 『道具考』鹿島出版会 |
1980年 | 『幕の内弁当の美学』ごま書房 / 『道具の思想』PHP研究所 |
1994年 | 『モノと日本人』東京書籍 |
1997年 | 『人の心とものの世界』ほるぷ出版 |
1998年 | 『The Aesthetics of the Japanese Lunchbox(『幕の内弁当の美学』英語版)』米国MIT Press |
1999年 | 『インダストリアルデザインが面白い』河出書房新社 |
2000年 | 『道具論』鹿島出版会 |
2009年 | 『デザインに人生を賭ける』春秋社 |
2011年 | 『袈裟とデザイン 栄久庵憲司の宇宙曼荼羅』芸術新聞社 |
2014年 | 『道具和讃』鹿島出版会 |